湘南ケイキフラ&タヒチ2020コンテスト 審査員
Kalani Po'omaihealani(カラニ・ポオマイヘアラニ)/タヒチアン・ハワイアンヘッドジャッジ
オアフ島カパフルで産声を上げる。幼少時代はワイマナロで暮らし、8歳の時カネオヘへ家族とともに移住。
現在のハワイでの住居はワイマナロにある。
1965年よりフラを教え始め、1973年紀文食品の販売促進のためのショーを掲げ同社と契約する。
1983年より7年間、東京ディズニーランドのキッコーマン提供のポリネシアンテラスレストランでポリネシアンショーのプロデュース・演出を勤め自身も歌手としてステージに立った。
4人のクムフラ、ヘンリー・モッイケハ・パ、カハッイ・トポリンスキ、ジョージ・ホロカイ、チャールズ・カッウプのもとでフラの修行をした。
現在は殆どの時間をフラの指導に費やすが、彼はジャズ・ポップ・ポリネシアンを歌い、優れたピアニストでありウクレレ奏者である。しかしこのことはあまり知られていない。
彼の教えはフラだけに留まることなく、オリ、ハワイの楽器作りと演奏、ハワイの聖歌、タヒチアン・サモアン・マオリの踊り、そしてハワイ語をも教授する。
そしてこれからも厳選された生徒をウニキへ導き続ける。
Wailani Ha‘o Avilla(ワイラニ ハオ アヴィラ)/ハワイアンジャッジ
クムフラ ワイラニ ハオ アヴィラはオアフ島カポレイ出身。
叔母であるクムフラ カピオラニ ハオ率いるケ キアイ アオ フラに所属し、1999年から2014年までメリーモナークに出場。
2002年に叔母のクムフラ カピオラニ ハオよりウニキを得てからも、マスタークムフラ キモ アラマの元でトレーニングを重ね、ハワイの歴史、フラの知識をさらに勉強し、ウニキを得る。
2014年、拠点を日本に移し、日本のハーラウの指導者を中心にワークショップや、フラに関する知識のホオパアカリキュラムクラス、アラカイクラスの育成に力を入れ、ワイラニの持つ知識や、感性を沢山の方へ伝えている。
Kawena Mann(カヴェナウラオカラーマン)/ハワイアンジャッジ
ハワイオアフ島ホノルル、カハラ出身
カネフラダンサー、指導者、ハワイアンクラフト、レイメイキング、チャント、ハワイ語など、ハワイ文化伝承のスペシャリスト。
9歳からホノルルボーイクァイヤー(少年合唱団)のメンバーで、歌とフラで全国を回る。
中高学校は名門セントルイス、フラは、カネフラの名門、アルバカーシ先生のハラウカウアキリフネにて、メリモナークに毎年出場。
ジョンレイク氏からは高校のフラ授業で出会い、伝統フラとチャントを学ぶ。
卒業後はチンキーマホイ率いるコンペティション名門、ハラウ、カヴァイリルアに所属し、メリモナーク3年連続出場、2度優勝。
その後、フラマスターレフア、 フランクヒューエットのもとで12年仕え、学び、2008年春、ウニキ(フラマスター修了課程)を修める。
ハワインクラフトとレイメイカーとしても大人気で、多くのハラウのためにレイと楽器をつくり、注文が絶えない。レイメイキングの指導も易しく分かりやすい心のこもった指導が大好評。
JALPACKはじめ数々のイベントでも常時教室でレイの作り方を指導している。
日本で同じくフランクヒューエットのもとフラ教室を運営しているクムフラと結婚し、日本在住でハワイのアロハ、クラフト、チャント、そしてフラを伝えます!!"
Bonnie Apiu(ボニー アピウ)/タヒチアンジャッジ
IAORA TAHITIのダンサーかつミュージシャンだった父の影響で、幼少期にタヒチアンダンスを始める。
その後はO Tahiti E、Toa Reva、Hitireva、Ahutoru Nuiなどのグループでトップダンサーとして活躍。近年はタヒチ国外へ活動の場を広げ、スペインや日本でプロダンサーとして滞在した経験も持つ。
2016年、Manohiva Japan発足時から常勤講師を務める。
Napua Liufau(ナプア リウファウ)/タヒチアンジャッジ
4歳からダンスをスタートし、12歳の頃よりメヴィナの指導する全てのコンペティションに参加。
またSan Jose Tahiti Fete, Kiki Raina Tahiti Fete of Merced,Heiva I Honoluluやその他にもカリフォルニアやハワイで数々の賞を受賞。
ダンスのキャリアは27年を超えます。
彼女のショーダンサーとしての経験、またコンペティションの経験が日本のダンサーの皆様を教え導く土台となるでしょう。
2009年にNapuaは東京ディズニーランドのダンサーを務め、1年間タヒチアンダンスとフラを踊りました。
このとき彼女はこの国の皆様がポリネシア文化とダンスへの大きな愛を持っている事を知りました。
彼女の情熱はダンスを通してタヒチの文化を学ぶ事にあります。
タヒチアンコンテスト スーパーバイザー・ドラマー
Mevina Liufau(メヴィナ リウファウ)
オレンジ・カウンティ高校で音楽・演劇専攻し1997年に卒業後、ハリウッド・ミュージシャン専門学校でギターとレコーディングアーティストパフォーマンスを専攻。
彼は1998年ヘイヴァ・イ・タヒチでグループO THAHITI Eの一員として出場し、優勝を果たす。
グループの中でもメインダンサーを務め、以後7年間続けて出場した。
後に2005年HEIVA I TAHITIではタヒチアングループHEI TAHITIと共同し、振付を担当し優勝に導いた。
その他にタヒチアングループTOA REVAにも所属した経験があり、TAMAEVAと共にツアーを回った経験もある。
彼の指導のもと、タヒチより米国に移住した祖母の設立した「ノノシナ アナハイム」は全米最大のグループへと成長した。
現在は、日本にタヒチアンダンスを広めるために開講した「タヴァケレレアタ ノノシナジャパン」を主宰している。"